みさとさん(100歳)

今回は真面目な話w

数日前にばあちゃんが亡くなった😭

100歳で亡くなった。

あと2週間生きていれば誕生日で101歳だったのになあ

まるまる1世紀、大正、昭和、平成、令和と4つの元号を生きてきた。

俺と干支が同じで、俺の年齢に60を足せばばあちゃんの年齢になる。

ばあちゃんはめちゃくちゃ丈夫な人で、あと5年は軽く生きるんじゃないかと家族全員思っていた

なので、急死したのはみんなショックであった。

死因は心筋梗塞。

風呂場でお湯につかった瞬間、心臓が止まってしまいそのまま還らぬ人となった。

親父が風呂場で見つけた時には、浴槽で亡くなっていたという。

その夜、お袋から電話がかかってきた。

「ばあちゃんが死んじゃったよ!死んじゃったよ!早く帰ってきて!」

と、めちゃくちゃ慌てていた。

時間は夜22時

すっとんで実家へ帰ると、警察やら救急車やら消防車までいて騒然としていた。

親父は慌ててしまい、救急車を呼ぶつもりが110番してしまい先に警察を呼んでしまったらしい。

自宅で亡くなるとこれがまた大変で、事情聴取や鑑識もはいり
色々と疑われることになる

終わったのが、夜3時位で家族全員はその後一睡もできなかった。

ちょっとばあちゃんの過去について、俺の知る限り話そうと思う。

ばあちゃんは下町の東京生まれ、東京育ち

農家で育ち、地主で家はかなり裕福な家庭で育った。

同じ町の俺の爺さんのところへ嫁いだ。

酒は大好きだが、タバコやギャンブルは一切やらない。

八方美人で宵越しの金は持たない主義であり、貯金もなく常に散財していたw

とはいえ、仕事は熱心で日中はずっと仕事をしていた。

3人の子供に恵まれ、その長男が俺の親父である。

夫(俺の爺さん)は、ババが40歳位の時に死んでしまい、女手ひとつで育ててきたことから
かなり苦労人であったことが伺える。

自分の血のつながりのある人々には、めっちゃ優しいが

お袋にはちょっと冷たかった。よく嫁姑問題でケンカをしていた。

いわゆる、ザ・昔の人だw

ばあちゃんは、95歳位までチャリに乗っていた。

俺が子供の頃は、小学校卒業までチャリの後ろに乗っけてもらって通学していた

当時でも72歳位で、ランドセルをしょった俺をチャリの後ろに乗っけて1キロ近く爆走しているのを思い返すと
相当足腰が強かったと思われる。

俺が病気の時は、ずっと看病してくれて、親から叱られている時はいつもかばってくれた

どんなにいたずらをしても、「くそばばあ」と暴言を吐いても、ばあちゃんは常に俺の味方をしてくれた。

俺はばあちゃん子なのである。

だから彼女の死は、非常に悲しい。

95歳の時に、チャリで転んで腕を骨折してしまい、そこから歯車が狂ったように思う。

家族からはチャリに乗るのを止められ、酒を飲むのも止められた。

ちなみに、酒が強く、自身で楽しむ用に果実酒をつけていた。

そして2年前に軽い脳梗塞を患い、もうダメかと思ったのだが奇跡的に回復した。

医者からは「とても生命力の強い方ですね」と言われていた。

回復して退院した時に初めてばあちゃんが泣いたのを見た。

我が強く、ガキの頃から一切泣いたところを見たことが無かったのだが、初めて泣いているのを見たのだ

「ありがとうありがとう」と泣いていた

死に直面した恐怖からの生還もあっただろうが、家族全員が見舞いに来てくれたことに対して、人間の優しさに触れて泣いていたのだろう。と思う。

死ぬまで、トイレや風呂などは誰からも世話にならず

掃除や洗濯など身の回りのことは全部一人でやっていた。

死ぬ数カ月前は、よく夢でうなされていた。

ばあさんは戦時中にアメリカ軍の戦闘機から機関銃で狙われたことがあり

運よく自分は当たらなかったのだが、近くにいた人に当たってしまい即死だったの目の当たりにしている。

そんなトラウマな経験もあったからなのか

戦争のことを思い出しているのか、よく夜中にうなされていたのを目撃している。

「怖いよ~怖いよ~」と。

死の恐怖を感じていたのだろうか。

脳梗塞後は回復はしたのだが、少し認知がはいってしまい

死んだ人のことを話し始めたり、どこへ行く予定もないのに身支度をはじめたり、深夜俳諧をはじめたり

「空襲だ!早く逃げなさい」とわけのわからないことを言うようになった

けど、家族のことはわかるようで

俺、誰だかわかる?と聞いてもしっかり名前を呼んでくれる。

自分の名前や誕生日もちゃんと言えるし、トイレも風呂も一人で入れる。

だから、完全にはボケていない

ボケが始まった時に、知らない人の名前が出てきた

「とおる」という名前。

家族や親せきに聞いても、とおるという名前の人はいない

本人に聞いても、すっとぼけてるだけでまともな回答は返ってこなかった。

とおるという言葉が出てきた時に

「この前は楽しかったよ」とか「いつ会えるんだい?」など前後の文脈を解析するにあたり恋仲だったのではないかと推測できる。
もしくは、片思いだったか

ばあちゃんが結婚する前の元彼かなにかなのか。

もっと、とおるの正体を突き止めておくべきだった。

今になってめっちゃ気になるw

今年はばあさんのボケから死んだ人の名前が、続々出てきたのだ。

これって、お迎えが近かったという暗示だったのだろうか。

今まで親戚の人が亡くなる時は、病を患って病院で亡くなるというパターンである。
そういう時は、それなりの覚悟があって死んでしまった時は残念だなという感情もあるが、すんなり受け入れらていた。

数時間前まで正座してテレビを見ていて

「おっ!今日も元気そうだな」と思いきや

なんのお別れの挨拶もなく、あの世へ行っちまった。

いきなりの急死は、覚悟がなかったのでショック極まりない😅

しかも初めて自分の家族が亡くなったことを経験した。

いっちゃ悪いが、親戚が亡くなるのとは大違いだよな😅

何回も親戚や友人の葬式に出席していたばあさんは、いつもこんなことをいっていた。

「お葬式ってね、悲しいのは身内だけ。関係ない人はそれほど悲しくないものだよ」

当たり前のようにいる存在が、急にいなくなる。

説明しずらいが、心に大きな穴がぽっかり開いたような感じだ。

大切さってのは失ってから気が付くもんだよな。

朝起きた時に、それは痛感する。

ばあさんの部屋には、今でもいそうな感じがして部屋へ行くと

「あ、でも、いないんだなー」で、またガックリする。

でも、彼女は大往生でひ孫の顔もみれたし、自宅で家族がいるなか苦しまずにこの世を去ったのだから

充分、幸せな人生だっただろうと。

俺や家族も納得しているのか、葬式では誰も泣いていなかった。

思い残すことは、彼女の親の話や少女時代をもっと聞いておきたかったなーと。

この辺は、ほぼ本人にしかわからないことだからね。

人はいつ亡くなるのかわからないので、聞きたいことがあったら早めに聞いておいた方がいいということだ。

ばあちゃん、一緒に過ごした40年ありがとう!

さらばだ!🙋

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